ブログ終了のお知らせ

昨年4月からこのブログへの投稿を行っていましたが、このたび終了させていただくこととしました。

チェックしていただいた方には、大変申し訳ございません。

最近、多忙になったこともありますが、色々考えた結果でもあります。

自院のブログは少しずつ更新していくつもりですので、よろしければご覧下さい。

本当にありがとうございました。

戦争に自分の子や孫が行ってもよいですか?

今回は、今までとは全く違う感じになりますが、こちらのブログにしか書けないと思ったので、書かせていただきます。

長くなりますが、よろしければ少しだけお付き合い下さい。

 

昨年12月16日、政府は、反撃能力の保有方針を明記した新たな国家安全保障戦略などを決定し、「日本の安全保障政策を大きく転換するもの」との認識を示しました。

 

その際には、増税のことが主に話題となり、街頭インタビューでは、防衛費の増額はやむを得ないが増税はだめ、などという意見も多く聞かれました。

しかし、増税以前に、これはとんでもないことではないか、と思っていました。

 

その後、そもそも安保政策の転換はどうなのかという報道が多くなり、昨日のTBS報道特集でも河野氏の発言が取り上げられていました。自分的には同意できるところが多くありました。

また、ミサイル基地を突貫工事で作られている石垣島に住んでいる方々の言葉にも、全くそのとおりだと心を打たれました。

 

私は防衛や軍事の専門家でもなく、その分野での知識が十分にあるわけではありませんが、多くの国民もそうだと思います。

ただ、ごく単純な普遍的な話として、小学生でも考えられるようなことはあります。

 

軍事力をいくら増強しても、きりがありません。戦争となれば、憎しみは憎しみを生みます。

 

我が国が、GDPの2%を防衛費とし、さらにどんどん増やしていっても、近くの国は警戒を強めるばかりとなり、さらに増やしていくでしょう。

戦争となり、お互いの国の国民の多くが死亡し、どうしようもなく疲弊しないと戦争が終わらないという状況になると思います。

ロシアとウクライナの戦争はいつ終わるのでしょうか。

 

ミサイルが飛んでくるから、防衛費を増やさなければいけない、というのは、ごく単純な理論ですが、もう少し踏み込んで考える必要があると思います。

 

敵基地攻撃能力を持つということは、果たして、抑止力になるでしょうか。

相手の気持ちに立って考える、ということは、小学生の道徳の時間に教えられることです。

敵とみなされた側が反発するのは当然のことであり、さらに攻撃力を持つべきと思うでしょう。

そして、戦争に向かっていくかもしれません。

 

歴史は繰り返すと言いますが、人間は、そんなに愚かな生き物なのでしょうか。

 

今の憲法を守った上で、防衛費を増強するというなら、飛んでくるミサイルを撃墜したり、すぐに避難できるシェルターを十分に作ったりするために、我々の税金が使われるべきではないでしょうか。

 

今のままでは、日本は、また戦争に向かって進んでいく可能性があると思います。

あれだけつらく悲しい思いをした太平洋戦争から、100年も経たないうちに、それでよいのでしょうか。

今の政治家の方々は、自分の子や孫が戦争に行くことになることをどう考えているのでしょう。

お国のために、死んで来い、というのでしょうか。

 

私の母の従兄弟は、終戦前に、特攻隊として、お国のために若くして亡くなりました。

そのことに関する祖父の手記が今でも残っており、読むたびにやりきれない思いを抱きます。

その死は、何かの役に立ったのでしょうか?

はらわたが煮えくり返るような状況ですが、犬死というしかありません。

(追記)「犬死」という表現を不快に感じた方がいるかもしれませんが、本人のその時の思いを、否定したり軽視したということでは全くありません。

歴史的、社会的な状況を踏まえ、当時の国の意思決定をしていた人たちに、若い時から憤りを感じていたので、あえてその言葉を使わせていただきました。

むしろ、本人の追いやられた状況を考えると、心から悲しく、残念で腹ただしい限りです。会ったことがなくても、特に血縁の身内の人が、自分の年齢よりずっと若い歳で自ら命を絶たざるを得なかった状況を想像すると、胸が張り裂けそうになります。

それは親族でなくても同様です。

 

 

敵国が攻めてきたらどうするのだ!という方もいるでしょう。

それならば、考えられる限りの防衛力を持つべきだと思います。

今の最先端の科学力により、無人のドローンや近距離のミサイルなどを開発し、保有することもできるのではないでしょうか。

 

(以下、追記・一部修正)「無人の」という表現が気になった方もいるかもしれませんが、私は、実際に近距離で戦闘する自衛官も死んでほしくない、と思っています。

実際に戦争になり、他国が攻めてくると、自衛官が戦車や戦闘機に乗り戦うことになるでしょうが、その犠牲も最小限にすべきだと思います。

私は、敵国を攻撃する能力を持つことに疑問を持っているのであり、自国を守るために戦おうとする人々のことを、全く否定しておりません。

 

「抑止力」という名の敵基地や敵国を攻撃する能力を持つということではなく、報道特集で元自衛官の方が言われていたように、盾を持つということが重要だと思います。

 

最初にこの記事を書いた翌日に追記しておりますが、最初の文章により、自衛隊自衛官そのものを否定していると感じた方には、本当に申し訳ございません。

拙い文章だったと思います。心よりお詫び申し上げます。

ただ、専守防衛を信じ、一生懸命、真摯に務めている自衛官の方々のことは、心から尊敬しています。それは、ご理解いただきたいと存じます。

 

話が飛躍するようですが、年末の紅白歌合戦の桑田さんたちの歌は、心に響きました。

あれほどの人ですら、歌で表現することしかできないのですが、そのようなことを私たち一人ひとりが考え、声を上げ、選挙で投票することで、少しでも戦争を回避できるのではないかと思います。

 

自分も非力で何もできませんが、そのような思いはあります。

組織的な大きなものでなくても、一人ひとりの力が積みあがっていくことで、大きな力が生まれることもあると思います。

 

あなたの子や孫が戦争に行ってもよいですか?

表面的なことだけでなく、現実的なこととして、一歩踏み込んで、全ての人が具体的に考えてほしいと心から思います。

 

(追記)成人の日に一部で報道された新成人の安保政策への関心は6,7位くらいだったと思います。他国では実際に戦争をしているにもかかわらず、自国では戦争が起きるはずがないと思っている若者が多いのかと思ってしまいます。

実際に、戦争を経験した祖父母や親戚の話を聞ける若い人が少なくなっており、やむを得ない面もあるでしょうが、若い人も、そうしたことから目を背けず、現実的なこととして考えてほしいと思いました。

 

偉そうなことを!という人もいると思いますが、どうしても言いたくなり、書いてしまいました。

不快に思われた方には、本当に申し訳ございませんでした。

そのような声が多ければ、声を上げるということに矛盾するようですが、自分の文章を書く能力が不足しているということだと思いますので、削除させていただきます。

 

年末ですね

早いもので、今年ももうすぐ終わりです。

 

クリニックを開業してから2年ちょっとが経ちました。

嬉しいことも大変なこともありましたが、多くの人のおかげで何とかやってこれました。

 

最近の若い人は、終身雇用という考え方はあまりないようですが、医者(勤務医)も同様かもしれません。

 

若い頃は、地方公務員としての医者だったため、県の命じるままに、田舎の病院を転々としていました。

へき地勤務の義務が終了してからは、自分の考え方、生き方に合う病院に勤めていました。

そして、今に至ります。

 

開業すると、転職は難しいですが、腰を据えて頑張っていこうと思っています。

石の上にも三年と言いますが、医師(開業医)としても何年ということになりそうです。

自分が健康な限り、この先もずっと人々の笑顔のために生きていきたいと思っております。

 

来年も、どうかよろしくお願いいたします!

 

本を読むこと、伝える力

1か月以上、このブログを更新していませんでした。


ごくわずかの方だと思いますが、チェックしていただいた方には申し訳ございません。
何か書こうと思っても、個人情報とか色々考えると、詳しく書けないこともあり、このようなツールも難しいものだと思いました。
面白くないかもしれませんが、無難なところで書いてみようと思います。

 

前回、読書について書いたところ、読んでいただいた方から、他にどのような本がお勧めですか?と聞かれました。
色々あり過ぎて、その場ではすぐに答えられなかったので、この場で少し書いてみようと思います。

 

一般的なことですが、色々な文学賞をとられた方々の本は、当然、面白く、心を揺さぶられるものが多いです。
私は、ずっと文系でしたが、論説文などは苦手で、正直、あまり頭がよくないので、難しい話の本を読んでも、心から理解できるということがないのだと思います。
 
どのような本でも、自分が好きなら良いと思いますので、論説文などが好きならそれも良いと思いますが、自分は、読んでいて内容が面白く、それでいて心に響くような言葉が書かれている本が好きです。
 
やや古いですが、中学生の頃は、吉川英治氏の「三国志」が好きで、同時期に同じタイトルのパソコンゲームを友人の家でずっとやっていたこともあり、何冊もある長編を一気に読んでしまいました。
歴史小説なら、司馬遼太郎氏も好きでしたが、もう少し年齢が経てからでした。
 
高校生の頃は、三浦綾子さんの本が好きで、「氷点」シリーズは何度も読みました。
 
私は、好きな本があると、その作者の他の本も読みたくなり、図書館にあるその作家の本を一通り借りて読むことが多いです。
 
近年では、本当にすごいと思ったのは(敬称略)、東野圭吾宮部みゆき重松清石田衣良有川浩池井戸潤原田マハ西加奈子上橋菜穂子森絵都、前回もご紹介した伊坂幸太郎、少し年代が上では宮本輝などの作家さんたちで、それぞれの作品を挙げるときりがありません。
 
最近では、西加奈子さんの「i」や、重松清氏の「みんなのうた」「カレーライス」を読みました。


西さんの本は最初に読んだのは「サラバ!」でしたが、自分のコンプレックスに近いところも描かれており、そのように感じている人がいるのか!と共感できました。


重松氏は、中学高校の入試問題によく出てくるような子ども向けのものでも、じん、とくることがあり、懐かしく感じる一方で、同年代の中年の悲哀も描かれており、心に響きます。
 
結局、自分が興味を持ち、次が読みたいと思えるような本を読んでいくのがよいと思います。

 

漫画が好きな方は、漫画にも素晴らしいものが多くあるので、まずは漫画でもよいと思います。
最近は、あまり読んでいませんが、絵もあるため、よりイメージしやすく、面白く、頭に残りやすいと思います。
ただ、漫画だけでなく、本にも素晴らしいものが多くあるので、本も読むと良いと思います。最近はスマホの無料漫画もあるようですが、経済的な面でも、本は図書館で借りられるものが無数にあります。

 

皆が共感できるようなことを、分かりやすく、言葉に表すことができるということは、すごいことだと思います。
心からそのように思えることは、ある程度の年齢にならないと難しいかもしれません。
思っていることを、言葉にして、うまく相手に伝えることができないために、人間関係や社会での関係がうまくいっていないということはよくあると思います。
話したら当たり前のように思うようなことでも、相手にも伝わるだろうと自分で何となく思っているだけで、伝わっていないことが多いです。
言葉にしてみると、目から鱗のように感じて、分かりあえることもあると思います。


そのためには、色々な本に触れ、共感できる、そして伝えていける力をつけていくことが大事だと思います。
忙しい人も、時間を見つけて、少しずつ本を読んでみてはどうでしょうか。

 

 

読書の秋です

最近は、結構涼しくなり、秋らしくなってきました。

私は運動もしますが、読書も好きです。

 

今日、久しぶりに一冊読み終わりました。

遅ればせながら、伊坂幸太郎さんの「ホワイトラビット」という本です。

以前から、伊坂さんの本は面白く、大体読んでいます。

 

軽妙な語り口で、登場人物同士の会話はテンポよく、気軽に読み進めていけます。

全体に、かなり軽い感じで、エンタメ的な要素が強いのですが、その中に、かなり本質的な内容も含まれており、いつも感服しています。

 

レ・ミゼラブルという、いわば古典的な本の内容を、登場人物が、軽い感じで話すことで、重い感じでなく、なるほど、と受け止めることができます。

星の光が届くのは、かなりの年数を経た後で、今星の光をみているが、実は今その星は爆発してなくなっているかもしれない、そうした時の流れから見ると、人間の一生は何と一瞬ではかないものか、しかし、その中で、生を受け、いろいろなことがあって、死んでいくということが、分かりやすく伝わってきます。

 

いろいろなことがある、というのは、一言でいうと簡単ですが、本当にある程度の年齢の人は実感することだと思います。

本当に、いろいろなことがあるのですが、それを何とか乗り越えて今がある、そしてこれからも何とか生きていく、生きていかねばならないのだと思います。

 

若い人から、年輩の方まで、一度伊坂さんの本を読んでみてはいかがでしょうか。

それぞれの年代で感じることは違うでしょうし、一度読んで、10年、20年後に読むとまた違うかもしれません。

 

その他にも、すごい作家さんは数え切れないほどいます。

「本って本当にいいものですね」、と映画評論家の淀川さんのように思います(若い方は分からないでしょうが…)。

本を読むことで、心が豊かになり、成長することができます。

あまり読んでいない人、漫画ばかりの人もぜひ一度読んでみることをお勧めいたします。

 

スポーツの秋、運動を始めるのは「今」です

今日、夕方からランニングをしてきました。

朝晩は、だいぶ涼しくなってきましたので、運動しやすい季節になったと思います。

 

この前より身体が軽く、速く走ることができ、今日は10㎞以上走りました。

しばらく走っていると、いわゆるランナーズハイという状況になるようです。

 

これまでランナーズハイは、幸福感や高揚感につながる脳内物質エンドルフィンの作用により引き起こされると考えられてきました。

しかし近年では、エンドルフィンのほかにもう一つ、内因性カンナビノイドという脳内物質がランナーズハイに大きく関わっていることが分かってきています。

 

いずれにしても、そのような物質により、走っていると高揚感が得られ、頭の回転もよくなるように思います。

しばらく走っていると、色々なことを思いつきます。

 

ジムのプールで40-50分泳ぐこともありますが、同じレーンで他の人が泳いでいたりして気を使ったり、息継ぎで忙しかったりして、私は、今のところランナーズハイのような状況にはなりません。

水泳が得意な人は、大丈夫なのでしょうが、公園でゆっくり走るのが、自分には合っているようです。

 

そのようなことは、自分で経験しないと分からないと思います。

運動した日は、ぐっすり眠れますし、何となく、身体によい感じがします。

精神的にも落ち着くような感じがします。

 

よく言われるように「だまされたと思って」運動を始めてはどうでしょう。

ただ、いきなり長距離を走ろうと思っても難しく、膝を痛めたり怪我にもつながりますので、注意は必要です。

まずは、速足で歩くことから始め、10分、20分と伸ばし、可能なら軽いジョギングをするように、ステップアップしていきましょう。

 

適切なウェアや靴も重要です。

私も、ランニングタイツ、靴下、シューズを新しくしました。なかなか良い感じです。

 

「いつやるか?今でしょ!」ということで、多くの人がすぐに運動を始めたらいいのに、と強く勧めたいと思います。

 

 

笑顔でいるということ

先日、24時間テレビと、マラソンの舞台裏を見ました。

兼近さんは、元々、運動能力が高く、余裕で完走したように見えましたが、舞台裏を見ると、少し違った印象を持ちました。
一生懸命、信念を持って、応援してくれる人に手を振って、ポージングをして、ずっと笑顔でいたということは本当にすごいことだと思いました。

私は、フルマラソンを3回完走していますが、30㎞を過ぎると本当につらく、沿道からの声援にも、そんなに頑張れない、足が動かない、と思っていました。

正直、数年前、最初にEXITのお二人をテレビで見た時には、良い印象は持ちませんでした。
私の年代以上の多くの人は、そう思ったのではないでしょうか。
ふざけたチャラい若いやつ、という印象だったと思います。
ただ、それも計算された上だったとすると、うまく乗せられたということでしょう。

話を戻しますと、きつい時にも笑顔でいるというのは、本当に大変です。
私も含め、多くの強くない人間は、きつい時にはきつい顔をしてしまいます。
しかし、それでも少しでも笑顔でいようとすることは、大事なことだと思います。

ある程度の人が感じているように、24時間テレビは、完全に素晴らしいものだとは思えず、少しもやもやした気持ちもありますが、年一回くらいは、そのような番組があっても良いと思います。

正直なところ、国営放送のスタッフには申し訳ありませんが、国営放送の障害者をクローズアップしたような番組より、ずっと明るく、楽しく見ることができます。

全てを見ていたわけではありませんが、ダイジェストでも、一部だけでも、少しいい影響を受けたと思います。そうした影響を与えられることもすごいことでしょう。

自分もまた、マラソンに挑戦してみようと思いました。

膝が痛くなるので、最初はハーフマラソンですが、早速、秋の大会にエントリーしてしまいました。
目標があれば、ないよりも頑張れるような気がします。

私も、少しでも、笑顔で頑張っていきたいと思います。