戦争に自分の子や孫が行ってもよいですか?

今回は、今までとは全く違う感じになりますが、こちらのブログにしか書けないと思ったので、書かせていただきます。

長くなりますが、よろしければ少しだけお付き合い下さい。

 

昨年12月16日、政府は、反撃能力の保有方針を明記した新たな国家安全保障戦略などを決定し、「日本の安全保障政策を大きく転換するもの」との認識を示しました。

 

その際には、増税のことが主に話題となり、街頭インタビューでは、防衛費の増額はやむを得ないが増税はだめ、などという意見も多く聞かれました。

しかし、増税以前に、これはとんでもないことではないか、と思っていました。

 

その後、そもそも安保政策の転換はどうなのかという報道が多くなり、昨日のTBS報道特集でも河野氏の発言が取り上げられていました。自分的には同意できるところが多くありました。

また、ミサイル基地を突貫工事で作られている石垣島に住んでいる方々の言葉にも、全くそのとおりだと心を打たれました。

 

私は防衛や軍事の専門家でもなく、その分野での知識が十分にあるわけではありませんが、多くの国民もそうだと思います。

ただ、ごく単純な普遍的な話として、小学生でも考えられるようなことはあります。

 

軍事力をいくら増強しても、きりがありません。戦争となれば、憎しみは憎しみを生みます。

 

我が国が、GDPの2%を防衛費とし、さらにどんどん増やしていっても、近くの国は警戒を強めるばかりとなり、さらに増やしていくでしょう。

戦争となり、お互いの国の国民の多くが死亡し、どうしようもなく疲弊しないと戦争が終わらないという状況になると思います。

ロシアとウクライナの戦争はいつ終わるのでしょうか。

 

ミサイルが飛んでくるから、防衛費を増やさなければいけない、というのは、ごく単純な理論ですが、もう少し踏み込んで考える必要があると思います。

 

敵基地攻撃能力を持つということは、果たして、抑止力になるでしょうか。

相手の気持ちに立って考える、ということは、小学生の道徳の時間に教えられることです。

敵とみなされた側が反発するのは当然のことであり、さらに攻撃力を持つべきと思うでしょう。

そして、戦争に向かっていくかもしれません。

 

歴史は繰り返すと言いますが、人間は、そんなに愚かな生き物なのでしょうか。

 

今の憲法を守った上で、防衛費を増強するというなら、飛んでくるミサイルを撃墜したり、すぐに避難できるシェルターを十分に作ったりするために、我々の税金が使われるべきではないでしょうか。

 

今のままでは、日本は、また戦争に向かって進んでいく可能性があると思います。

あれだけつらく悲しい思いをした太平洋戦争から、100年も経たないうちに、それでよいのでしょうか。

今の政治家の方々は、自分の子や孫が戦争に行くことになることをどう考えているのでしょう。

お国のために、死んで来い、というのでしょうか。

 

私の母の従兄弟は、終戦前に、特攻隊として、お国のために若くして亡くなりました。

そのことに関する祖父の手記が今でも残っており、読むたびにやりきれない思いを抱きます。

その死は、何かの役に立ったのでしょうか?

はらわたが煮えくり返るような状況ですが、犬死というしかありません。

(追記)「犬死」という表現を不快に感じた方がいるかもしれませんが、本人のその時の思いを、否定したり軽視したということでは全くありません。

歴史的、社会的な状況を踏まえ、当時の国の意思決定をしていた人たちに、若い時から憤りを感じていたので、あえてその言葉を使わせていただきました。

むしろ、本人の追いやられた状況を考えると、心から悲しく、残念で腹ただしい限りです。会ったことがなくても、特に血縁の身内の人が、自分の年齢よりずっと若い歳で自ら命を絶たざるを得なかった状況を想像すると、胸が張り裂けそうになります。

それは親族でなくても同様です。

 

 

敵国が攻めてきたらどうするのだ!という方もいるでしょう。

それならば、考えられる限りの防衛力を持つべきだと思います。

今の最先端の科学力により、無人のドローンや近距離のミサイルなどを開発し、保有することもできるのではないでしょうか。

 

(以下、追記・一部修正)「無人の」という表現が気になった方もいるかもしれませんが、私は、実際に近距離で戦闘する自衛官も死んでほしくない、と思っています。

実際に戦争になり、他国が攻めてくると、自衛官が戦車や戦闘機に乗り戦うことになるでしょうが、その犠牲も最小限にすべきだと思います。

私は、敵国を攻撃する能力を持つことに疑問を持っているのであり、自国を守るために戦おうとする人々のことを、全く否定しておりません。

 

「抑止力」という名の敵基地や敵国を攻撃する能力を持つということではなく、報道特集で元自衛官の方が言われていたように、盾を持つということが重要だと思います。

 

最初にこの記事を書いた翌日に追記しておりますが、最初の文章により、自衛隊自衛官そのものを否定していると感じた方には、本当に申し訳ございません。

拙い文章だったと思います。心よりお詫び申し上げます。

ただ、専守防衛を信じ、一生懸命、真摯に務めている自衛官の方々のことは、心から尊敬しています。それは、ご理解いただきたいと存じます。

 

話が飛躍するようですが、年末の紅白歌合戦の桑田さんたちの歌は、心に響きました。

あれほどの人ですら、歌で表現することしかできないのですが、そのようなことを私たち一人ひとりが考え、声を上げ、選挙で投票することで、少しでも戦争を回避できるのではないかと思います。

 

自分も非力で何もできませんが、そのような思いはあります。

組織的な大きなものでなくても、一人ひとりの力が積みあがっていくことで、大きな力が生まれることもあると思います。

 

あなたの子や孫が戦争に行ってもよいですか?

表面的なことだけでなく、現実的なこととして、一歩踏み込んで、全ての人が具体的に考えてほしいと心から思います。

 

(追記)成人の日に一部で報道された新成人の安保政策への関心は6,7位くらいだったと思います。他国では実際に戦争をしているにもかかわらず、自国では戦争が起きるはずがないと思っている若者が多いのかと思ってしまいます。

実際に、戦争を経験した祖父母や親戚の話を聞ける若い人が少なくなっており、やむを得ない面もあるでしょうが、若い人も、そうしたことから目を背けず、現実的なこととして考えてほしいと思いました。

 

偉そうなことを!という人もいると思いますが、どうしても言いたくなり、書いてしまいました。

不快に思われた方には、本当に申し訳ございませんでした。

そのような声が多ければ、声を上げるということに矛盾するようですが、自分の文章を書く能力が不足しているということだと思いますので、削除させていただきます。